南朝ゆかりの八女市

懐良親王、良成親王の足跡

ルート

南北朝時代、京都を追われ吉野に退いた後醍醐天皇は、勢力を巻き返すために、皇子たちを各地に派遣しました。九州には第16皇子の懐良親王を征西将軍として、文官の五条頼元とともに派遣しています。
懐良親王は、吉野を出発した後、伊勢大湊から海路を辿り、瀬戸内海の忽那島(愛媛県和那諸島)を経て、興国3(1342)年には、薩摩半島山川(鹿児島市)に上陸、谷山城を拠点に九州北上を開始します。北上した懐良親王は、肥後隈府(菊池市)に征西府を置き、その後、高良山(久留米市)、大宰府(太宰府市)へと勢力を伸ばします。一度は博多に到達しますが、九州探題、今川了俊との攻防によって、南朝勢力は衰退し、南下を余儀なくされました。その逃れた地が現在の本市における奥八女と呼ばれる地域です。
本市は、隈府と高良山や大宰府を繋ぐ位置にあり、唯一南朝方が勢力を占めた九州において、幾度も戦場となったところです。また、懐良親王、そして懐良親王の跡を継承して後征西将軍として南朝方を指揮した良成親王(後村上天皇の第六皇子、懐良親王は叔父にあたる)が拠った地域と伝えられています。市内には、八女市星野村にある懐良親王の御墓所、八女市矢部村にある良成親王の御墓、そして八女市黒木町にある五條家と五条家文書等、南朝方にまつわる歴史的文化遺産(以下、文化遺産)が数多く残されています。

 

南北朝時代のPRをしています。

本市は、平成26(2014)年、南朝の拠点であった奈良県吉野町と友好交流都市協定を締結しました。協定締結は、南北朝時代の歴史文化を軸とした相互交流による地域活性化を目的としたものです。協定締結に伴い、平成28(2016)年「南北朝時代歴史調査委員会」を組織し、市内の多種多様な南北朝文化遺産の調査を行っております。平成30(2018)年6月25日には、新たに設立された「全国南朝の歴史資産等所在市町村活性化協議会」に加盟しました。令和元(2019)年には南北朝・菊池一族歴史街道推進連絡協議会に加盟し、令和2(2020)年には「楠公さん」大河ドラマ誘致協議会に加盟しています。令和5(2023)年2月には多くの方に南北朝の歴史を伝える取組を推進するため、「南北朝時代歴史回廊構想推進委員会」を立ち上げて検討を行っています。

南北朝ゆかりの文化遺産マップを作成しました

大杣公園祭で披露される浦安の舞

南北朝時代、吉野の後醍醐天皇は全国に皇子を派遣し、勢力の巻き返しを図りました。その時、九州へ派遣されたのが征西将軍懐良(かねなが)親王です。その後、懐良親王の後を継いで、後征西将軍となったのが、後村上天皇の皇子である良成(りょうせい)親王です。
八女市は何度も戦場となった地であり、お二人の親王の安息の地でもありました。そのため、南北朝時代の歴史を感じることができる場所が市内各地に遺っています。
さあ、お二人の親王の足跡を辿る旅に出かけましょう。

南北朝関連行事

南北朝時代関連ページ

南北朝ゆかりの文化財・観光スポット

八女観光オフィシャルサイト(南北朝動乱のドラマ)

Google版南北朝文化遺産マップ

南北朝関連遺跡をGoogleMapに地点登録しています。

※南北朝関連の遺跡は必ずしも行きやすい場所にあるとは限りません。木々に覆われた山奥や急斜面にあるところも少なくありません。

現地に行く際は十分ご注意ください。

 

 

 

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文化振興課 文化振興係
〒834-8585 福岡県八女市本町647番地
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