磐井を知るページ
岩戸山古墳と筑紫君磐井
今から1,750年~1,400年度ほど前の日本は、「古墳時代(こふんじだい)」という、数多くの古墳が作られた時代でした。
八女市内でも多くの古墳が見つかっています。その中でも、八女市と広川町の間にある丘陵(八女丘陵)の上には、300以上の古墳があります(八女古墳群)。八女古墳群で最大の大きさを誇る岩戸山古墳(いわとやまこふん)は、北部九州で最大の前方後円墳で、西暦527年の「筑紫君磐井の乱(つくしのきみいわいのらん:筑紫君磐井の戦い)」に出てくる、「磐井」の墓として有名です。
令和9(2027)年は、磐井の戦争が勃発してから1,500年になります。
- 2-1 戦い前夜
- 2-2 筑紫君のライバル‐ヤマト王権と継体大王‐
- 2-3 ヤマト王権VS筑紫連合 勃発!
- 2-4 磐井、敗北する。
- 2-5 古墳時代の九州の英雄 「筑紫君磐井」
3-1 [筑紫君磐井」以前の八女古墳群
- 古墳時代のはじまりの頃、八女古墳群には大きな古墳が無い!
- 八女古墳群最初の大型古墳-石人山古墳―
- 石人山古墳と岩戸山古墳の間の古墳のナゾ!
3-2 北部九州最大の前方後円墳 (岩戸山古墳)
- 福岡県最大の前方後円墳
- 「別区」がある古墳は、世界中でも岩戸山古墳だけ!
- 「石人・石馬」とは
- 石人の材料「阿蘇溶結凝灰岩」
- 石人・石馬(石製表飾)の分布
- 筑紫君磐井以後の八女古墳群
郷土の英雄 「筑紫君磐井」
西暦527年~528年の磐井の戦いは、『日本書紀』の中では反逆者磐井を成敗した物語となっていますが、5世紀後半ころから大王を頂点とした統一国家を目指すヤマト王権と、九州の盟主たる筑紫君磐井が繰り広げた、最後の統一戦争だったのかもしれません。
筑紫君磐井は、九州の盟主としてヤマト王権からの介入を排し、八女地方はもちろんのこと、九州の人々が誇り高く豊かに生活が出来ることを望み、九州の人々のために戦った英雄だったのかもしれません。
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(文化振興課 歴史文化交流館係)
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