3.八女の古墳(八女古墳群)
八女古墳群のある八女丘陵
(岩戸山古墳から東側)
現在の八女市・筑後市・広川町との境には丘陵があります。八女古墳群はその八女丘陵上に展開する古墳群の総称です。その中で最大の古墳が、6世紀前半に築造された岩戸山古墳です。
国指定史跡「八女古墳群」は現在、岩戸山古墳・乗場古墳・丸山塚古墳・茶臼塚古墳・鶴見山古墳・丸山古墳(以上、八女市)、石人山古墳(広川町・筑後市)・善蔵塚古墳(広川町)で構成されています。
3-1 筑紫君磐井以前の八女古墳群
古墳時代のはじまりの頃、八女古墳群には大きな古墳が無い!
十連寺古墳
(久留米市三潴町)
古墳時代は3世紀半ば頃から始まります。
3~4世紀の八女古墳群では、吉田・辻の西遺跡で小規模のお墓(方形周溝墓:ほうけいしゅうこうぼ)が見つかっているのみで、大型の古墳は発見されていません。八女丘陵での大型古墳の出現は他地域より若干遅れます。
また近年では、八女丘陵の西側先端に位置する十連寺(じゅうれんじ)古墳(久留米市三潴町)が、八女古墳群中では初期の古墳ではないかという説も示されています。
八女古墳群最初の大型古墳-石人山古墳―
八女古墳群で本格的に100m級の大型古墳が確認されるのは、5世紀に入ってからです。
八女古墳群でいちばん古い大型前方後円墳は、広川町一条にある石人山古墳(せきじんさんこふん:全長120m)です。
5世紀初頭頃に作られた古墳で、岩戸山古墳から2~3世代前の古墳です。古墳には直弧文(ちょっこもん)と呼ばれる不思議な文様が描かれており、鎧を着た石人1体が現在も古墳の上に立っています。
(ワンポイントメモ)
- ☆岩戸山古墳より約100年古い、八女古墳で最初に作られた大型前方後円墳です。
- ☆石人山古墳について詳しくは、広川町古墳公園資料館で知ることができます。
https://www.town.hirokawa.fukuoka.jp/soshiki/kyoikuiinkai_jimukyoku/5/3/6/3/1190.html
石人山古墳
(広川町教育委員会提供)

石人山古墳の石人
(牛嶋茂氏撮影:広川町教委提供)
石人山古墳と岩戸山古墳の間の古墳のナゾ!
石人山古墳から岩戸山古墳が築造されるまでの間は、八女古墳群では大型の古墳が確認されていません。その間の筑紫君の墓の候補は諸説ありますが、久留米市南部に石人山古墳に後続する石櫃山古墳や浦山古墳などに移り、その後に岩戸山古墳が築かれたとする説があります。
「筑紫君磐井」の先祖については、分かっていない謎もまだまだ残されています。
3-2 北部九州最大の前方後円墳 (岩戸山古墳)
福岡県最大の前方後円墳
岩戸山古墳は全長170m以上、墳丘長135mの大型前方後円墳で、北部九州最大の古墳です。
岩戸山古墳は『筑後国風土記(逸文)』に記された「筑紫君磐井の墓墳」の記載と大きさ等が合致するとともに、他古墳に無い別区が存在することから、筑紫君磐井の墓とされています。

岩戸山古墳(北上空から)
別区からみた岩戸山古墳
「別区(べっく)」がある古墳は、世界中でも岩戸山古墳だけ!
古墳の北東部には、「別区」と呼ばれる43m四方の広場があります。
「別区」には、石人や埴輪が多く並べられていたと思われますが、石人や埴輪は江戸時代までに元の場所から動いていて、どのように並んでいたのか正確には分かりません。
『筑後国風土記(ちくごのくにふどき)』によれば、別区には猪を盗んだ人を裁判にかけている様子が石人等で表現されていたと書かれています。なお、古墳の墳丘には石人と石盾が各60枚並べられていたと書かれています。
おそらく、「岩戸山古墳の主(磐井)は、生きていた時にこんなことをしていたんだ!」ということを、「別区」に石人などを並べて表現していたのだと思われます。
(ワンポイントメモ)
- 全国にある15万~20万基の古墳がありますが、誰のお墓か名前が分かっている古墳は本当に少ないです。「筑紫君磐井」のお墓と分かっている岩戸山古墳は、極めて貴重で重要な古墳です。
- 前方後円墳は、古墳の中でも最もランクが高い形と言われています。ヤマト王権に認められた人しか作ることが許されない古墳の形と言われています。
この記事に関するお問い合わせ先
(文化振興課 歴史文化交流館係)
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