1.岩戸山古墳をつくった「筑紫君磐井(つくしのきみいわい)」

岩戸山古墳と筑紫君磐井

筑紫君「磐井」(つくしのきみ「いわい」)は、日本の歴史書である『古事記(こじき)』『日本書記(にほんしょき)』などに登場します。西暦527年にヤマト王権の継体大王(けいたいだいおう)と対立し、火の国(現在の熊本県・佐賀県・長崎県)と豊の国(現在の大分県と福岡県東部)と連合し、反乱を起こしたとされる人物です。

磐井の先祖や親族にはまだ不明な点も多いですが、『日本書紀』には「葛子(くずこ)」という磐井の息子が登場します。

八女市吉田にある岩戸山古墳は、200年後の奈良時代に書かれた『筑後国風土記(ちくごのくにふどき)』に出てくる記載の内容から、筑紫君磐井の墓と考えられています。

北部九州最大の古墳である岩戸山古墳(前方後円墳:全長135m)を作ることができた磐井は、北部九州の人々に慕われた英雄(ヒーロー)でした。

つくしのきみいわい

筑紫君磐井(八女市岩戸山歴史文化交流館正面にある石像)

(ワンポイントメモ)

磐井はヤマト王権の継体大王に反乱を起こした人物とされています。

  • 「筑紫君磐井」の「筑紫君」は、「ちくしのきみ」ではなく、「つくしのきみ」と読みます。
  • 磐井には「葛子(くずこ)」という息子がいました。
  • 磐井が生まれた年や亡くなった時の年齢は、記録が無く不明です。
  • 磐井が生まれたところや、住んでいたところも、まだ分かっていません(諸説あります)。
  • 八女市吉田の岩戸山古墳は、「筑紫君磐井(つくしのきみいわい)」のお墓です。北部九州最大の岩戸山古墳を作っていることからも、多くの人に慕われた英雄であったことが分かります。

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