上陽の石橋、ひふみよ橋
上陽町の石橋を代表する4つの眼鏡橋
八女市上陽町には12の石橋が現存しています。
これらは建築技術や機材、資材が現在よりも恵まれていなかった明治から昭和初期にかけて建築されたもので、周囲の豊かな自然と溶けこみ、美しい景観を作り出しています。
中でも有名なのは、アーチが1連から4連までの石橋群。特に「1連の洗玉橋」、「2連の寄口橋」、「3連の大瀬橋」、「4連の宮ヶ原橋」の4つの橋は、あわせて「ひふみよ橋」の名称で親しまれています。
洗玉橋 (せんぎょくばし) -名匠「橋本勘五郎」により造られた石橋-
上陽町の「ひふみよ橋」の中で最初にかけられた一連式アーチ型の眼鏡橋。
明治23(1890)年、上陽町を襲った3度の大洪水により星野川に架かった木造りの橋は全て流されてしまいました。「大洪水でも流されない石造りの橋を造ってほしい」との住民からの強い要望と222名の寄付があり、「橋本勘五郎」や彼の息子、「萩本卯作」といった弟子達により明治26(1893)年に建築されました。
「橋本勘五郎」は当時のアーチ型石橋作りの名匠であり、熊本県の国宝である「通潤橋」や「万世橋」、「浅草橋」、「江戸橋」、「京橋」などを手がけました。
洗玉橋のアーチ頂上付近にある要石には、橋本勘五郎が手がけた、熊本県の「通潤橋」と「兄弟橋」であることが刻銘されています。

寄口橋 (よりぐちばし) -桜・清流・石橋の共演-
上陽町の「ひふみよ橋」の一つである二連式アーチ型の眼鏡橋。
八女市長野地区の石工「山下佐太郎」、上陽町北川内藤木の大工「小川弥四郎」によって大正9(1920)年に建築されました。建築以降、数度の大洪水に耐え、現在でも住民の交通・生活を支えています。
周辺には、上陽町に縁があり、日米友好の架け橋となった「ダニエル・建・イノウエ」氏をテーマとした「ダニエル イノウエ ミュージアム」があり、ダニエル氏についての展示の他、地域食材とハワイアンフードを楽しめるカフェやショップが併設されています。また、山側へ直進すると、納又滝(のうまただき)・滝の宮不動尊・久留米市田主丸に繋がっています。
桜のシーズンになると、近くの北川内公園内の600本の桜と清流星野川、現在まで数度の大洪水に耐えてきたたくましい石橋の共演が見られ、周辺では市内外からの花見客でにぎわいます。
大瀬橋 (だいぜばし) -橋本勘五郎の弟子がてがけた石橋-
上陽町の「ひふみよ橋」の一つである三連式アーチ型の眼鏡橋。
大正6(1917)年に架設されたと伝えられ、「萩本卯作」「川口竹次郎」などの建築に携わった大工・石工達の名前がアーチの頂上真ん中付近に刻銘されています。
「萩本卯作」は、当時のアーチ型石橋作りの名匠「橋本勘五郎」の弟子であり、大瀬橋から北300mにある「鮎帰橋(あゆがえりばし)」や、寄口橋から北300mにある「枕橋(まくらばし)」といった様々な石橋の建築に携わっています。
なお、大瀬橋を山側へ渡ると、上陽町下横山地区へ繋がり、朧大橋・ふるさとわらべ館・耳納スカイライン・耳納大橋といった、奥八女の緑豊かな自然や、様々な体験ができる楽しい体験施設があり、久留米市草野にも繋がっています。
宮ケ原橋 (みやがはるばし) -上陽町・旧八女地域の境にある橋-
上陽町の「ひふみよ橋」の一つである四連式アーチ型の眼鏡橋。
大正11(1922)年に「豊島虎次郎」により建築され、旧八女地域から上陽町に入る際、清流星野川の風景とともに、最初に目に映る眼鏡橋です。
平成24(2012)年7月の九州北部豪雨で、宮ケ原橋は水没し大きな被害を受けましたが、分水路を開削して石橋を保存する復旧工事が行われ、6年後の3月に完了しています。












