学びの館(旧隈本家住宅、収蔵文化財展示場、石橋忍月文学資料館)

旧隈本家住宅

建物の概要

旧隈本家住宅は、明治2(1869)年に旧上妻郡八幡村新庄(現・八女市)の隈本家から、同郡今村(現・八女市黒木町)に分家した初代・隈本儀三郎によって、明治16(1883)年に建築された民家です。建物は、矢部川支流の笠原川から取水した上井手用水沿いに屋敷を構え、玉石積上に生垣を巡らせ南面して主屋が建ちます。主屋は、木造二階建・入母屋造桟瓦葺、建築面積約296平方メートルで、南側に角屋を突き出し、外壁は真壁造白漆喰仕上げ、内部は、西側下手に土間、東側突出部に西面して式台付玄関を設けます。敷地内には、防火用水を兼ねた泉水、屋敷周りの大小の玉石積、入口から玄関先に至る意匠を凝らした石畳などの工作物も一体的に残されています。この民家は、明治前期の地主農家を代表する大規模な住宅として、平成23年3月に福岡県有形文化財(建造物)に指定されました。

八女地方の杉、松、樫、楠、黒柿など大木をふんだんに使った見事な造りで、地元の大工3人を京都に修業に行かせて、つくらせたと伝えられています。一辺30cmを超す大黒柱や部屋を仕切る杉の一枚板。その造りは堅牢で重厚な趣きある建物で、押入から2階に通じる『隠し階段』や戸締りのための『心張棒仕掛』の仕掛けは、来館者を楽しませています。

館内の展示物

館内には江碕済の書を始め、黒木町出身の仁田原重行陸軍大将やアメリカにわたり、馬鈴薯栽培で成功おさめポテト王の異名で呼ばれる牛島謹爾。日本初のデパート三越百貨店の創始者である日比翁助など、黒木塾門下生に関する紹介展示を行っています。

また、八女市黒木町北木屋の旧庄屋松浦家の松浦文書は、久留米藩体制下の農村の生活を記録した資料であり、その一部を公開展示しています。
幕末勤王の志士として、久留米水天宮神官 真木和泉(保臣)とともに元治元年(1864)、禁門の変(蛤御門の変)に参戦し、天王山で自害を遂げた十七烈士の一人である松浦八郎寛敏や、その甥で、陸軍中将松浦寛威・淳六郎 兄弟の資料も紹介しています。
さらに、五右衛門風呂など昔の人々の暮らしの知恵が詰まった生活道具も展示。日本の古き伝統的な暮らしを今に伝えています。

収蔵文化財展示場

八女市黒木町を中心とした歴史を考古~近代まで紹介展示しています。

展示物紹介

天授塔(てんじゅとう)

天授塔

凝灰岩製の宝篋印塔(ほうきょういんとう)の一部である天授塔は、猫尾城付近の合戦にて亡なった男女の供養をするために建立されたとみられて『禅徹禅門 天授二年 妙覚□□』を文字が刻まれていることから、南北朝時代、南朝の元号で使われていた天授二年(1376)の年号がわかり、天授塔と名付けられています。

猫尾城発掘調査出土品

平安末期からおよそ400年続いた黒木氏代々の居城として標高240メートルの山頂に築かれた猫尾城。昭和58年福岡県指定史跡をうけ、昭和62年から平成2年にかけて発掘調査が行われました。土師器、白磁、青磁の土器の破片や軒丸瓦の一部が出土しています。

埋納銭

昭和37年(1962)猫尾城東方野田山のミカン畑から古備前焼の壺が出土し壺の中に、9400枚余りの洪武通宝をはじめとする古銭が発見されました。
壺(三耳壺)は、口径12.2cm、底径16.0cm、器高40.5cmで、中に納められた埋納銭は、重さ30キログラム、備蓄銭もしくは供養銭だと考えられています。(個人蔵)

石橋忍月文学資料館

石橋忍月(1865~1926)は、日本近代文学の黎明期、文芸評論家として活躍した八女市黒木町湯辺田出身の人物です。その生家を移築復元し、平成5年4月に石橋忍月資料館として開館。石橋忍月をはじめ、忍月の三男で文化勲章受章者の文芸評論家 山本健吉(本名:石橋貞吉)の資料や八女市黒木町にゆかりある文学について紹介展示を行っています。

石橋忍月について

石橋忍月肖像

慶応元年(1865)9月 現在の八女市黒木町湯辺田に、父 石橋茂(医師)と母フクの三男として生まれ(本名:友吉)、慶應2年(1866)叔父で眼科医の石橋養元の養子となる。幼少期、江碕済(えさきわたる)の黒木塾で学び、上京して明治20年には帝国大学法科大学法律学科へ進学。在学中より坪内逍遥や二葉亭四迷の作品に対し批評を展開し、中でも、森鴎外との「舞姫論争」と呼ばれる文芸論争を起こし注目を集め、近代日本文学黎明期に文芸評論の先駆者として一石を投じました。
大学卒業後は、内務官僚・新聞編集者・弁護士・裁判所判事・長崎市議会議員・長崎県会議員・小説家として多彩な才能を発揮し活躍しました。
忍月の三男で文芸評論家 山本健吉(本名:石橋貞吉)は、昭和58年 文化勲章を受章しています。
後年、ふるさとに思いを馳せた忍月は、矢部川の鮎狩り等、郷里の思い出を書き記し、歌を詠んでいます。現在八女市内には、忍月の詠んだ句碑・歌碑が建てられています。

 

・  花掃けば花より抜けて蝶飛べり
・  八雲たつ榊のみむろも浮かぶとみゆるばかりに匂ふ藤なみ
・  木の芽つむ乙女の歌も聞こゆなり卯の花白き豊岡の里

大正15年(1926) 60才で亡くなると、八女市の無量寿院に埋葬されました。

建物について

建築面積・約138平方メートル、木造2階建・寄棟造鉄板板葺、2階の屋根裏よりわら葺屋根の内側を見ることができます。
旧八女郡黒木町湯辺田にあった石橋忍月生家を、忍月と隈本勝三郎が、黒木塾でともに学んだ塾生の縁で、隈本邸内敷地に移築復元し、平成5年4月に石橋忍月文学資料館として一般公開しました。

施設情報

○所在地         〒834-1221 福岡県八女市黒木町今1053

○開館時間      9時から17時まで(入館は16時30分迄)
○入館料         無 料
○駐車場         無料駐車場完備
○休館日         毎週月曜日(祝日の場合はその翌日)・年末年始(12月28日~1月4日)
○問い合わせ    電話 0943-42-1982
○交通アクセス JR鹿児島本線羽犬塚駅より、黒木行き堀川バスで約40分。黒木バス停下車、徒歩10分。

この記事に関するお問い合わせ先

文化振興課 文化振興係
〒834-8585 福岡県八女市本町647番地
電話番号:0943-23-1982
ファックス:0943-24-4331

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