田崎廣助美術館に行ってみよう 4

数多くの阿蘇山を描いた田崎廣助画伯ですが、雄大で力強いイメージとは少し違った印象を受ける一つの作品があります。それは、妻へ贈った『阿蘇山』の絵です。
画家になる夢をかなえるため、ふるさと八女を後にした画伯は、上京して3年後の1923年(大正12年)関東大震災で被災し、東京を離れ京都へ移住しました。
ここで、生涯の伴侶となる黒田敏子と巡り合います。二人は、京都市の錦林尋常小学校の同僚教師で、1924年(大正13年)9月に結婚。画伯26歳、敏子26歳。
結婚と同時に教職を辞し画業に専念した画伯を、敏子夫人は教師を続けながら精神面・経済面で支え続けました。
結婚して2年後、1926年(大正15年)画伯は二科展で異例の3点初入選を果たすなど、この結婚を契機に洋画壇へ頭角をあらわしていきます。
この作品は、愛妻家の画伯が妻の誕生日に贈ったものです。パステルカラーのピンクを配し、やわらかな印象を受けます。妻への感謝とやさしさが感じ取れる作品です。
 

阿蘇山

「阿蘇山」
1955年頃(昭和30年頃)
(軽井沢田崎美術館所蔵)