八女あれこれ23 「わが師、わが友」その六

(イラスト)八女あれこれ23

八女の水車

(写真)水車の建設を手伝う馬場さん

昨秋「線香水車」の改築工事を主題としたテレビの放映がありました。題名は「よみがえれ、八女の水車」。八女市上陽町には杉葉を砕いて線香の原料となる杉粉を生産する産業が盛んでした。最盛期には40数軒ありましたが、現在では東南アジアからの輸入粉におされて、動力用に水車を使っている製粉場は僅かに2軒となりました。その一つ、馬場水車場の改築工事を映像で捕らえたのが前記のテレビ番組でした。水車場の経営者は馬場猛さん(60)です。この水車場は大正7年(1918年)に村民21名が株主となって設立し運営していたのを昭和36年に馬場家が引き継いだもので、猛さんは二代目に当ります。
水車の耐用年数は20年とのことで、昨年がその年限に当っていたので改築されたのでした。この水車を最初に作った工人は「現代の名工」といわれていた広川町の水車大工、故中村忠幸さんで、今次の改築工事は中村さんの最後の弟子、野せ秀拓さんとご長男の翔平さんが当りました。テレビ放映を見て野せさん親子が一心不乱に作業されている姿に感銘を受けました。しかし、紙幅の都合で作業内容を詳報出来ないのが残念です。春さきに見学会を実施したいと思います。とに角作業が終り水車が回りはじめると、馬場さんは水車に御神酒を供え柏手を打って礼拝されました。「仕事の道具」はもはや単なるモノではなく、神様になっているのでした。

「天職」に生きる

(写真)水車の建設

去る月、広報編集者と二人で馬場水車を訪ねました。北川内から田主丸黒木線を北方へ車で10分も登ると、横山川左岸の一隅に水車場はありました。ここの地名「大字上横山字八重谷」から想像していたとおり道の両側には山が迫り、前方には峡谷の地形が重なっていました。

工房に入って最初に感動したのは、回転している木造水車の力強い姿を見たときでした。大きさは直径5.5メートル、幅1.2メートル、羽根板54枚、横山川からの取水口と水車設置点の落差が大きくとれないため、水車は�引き落し式�と呼ばれる仕掛になっていました。水車の下部の羽根板で水流を受けて回転する仕組みです。水車の側面は見学者のために強化ガラス張りに改造されました。ガラス代は一般からの募金で補われることになり、八女ふるさと塾長補佐の高橋宏さんと木工作家の関内潔さんが代表者となって募金運動を行われています。電話0943-24-5545で受付。
さて、水車の動力は隣接している搗き臼小屋に歯車で伝達され、60キログラムの鉄製の杵十五本を持ち上げ、長臼に入っている杉葉を粉砕していました。この光景も力学的な迫力がありました。搗き臼で一昼夜粉砕された粉は袋詰めされ、久留米などの線香製造会社へ送られるのです。
馬場猛さんとお会いしました。
経営上苦しい年はありましたか?
馬場 昭和48年のオイルショックから今日まで、経営的に楽な年はありません。青色吐息です。しかし、この水車は村の先人が残してくれた文化財的な遺産ですから、私の代になって止めるわけにはいきません。つづけていくのが私の宿命です。
このお言葉を聞いて私は粛然としました。馬場さんにとって水車による製粉業は天職なのです。天職だから「人生そのもの」です。好きも嫌いもなく、儲かるか損するかもありません。馬場さんのはきはきした言動には、天職に生きる人の誇りがありました。

水車文化の意義

西日本短大教授大石道義先生は、ご存知のようにこれまで八女市民を対象にエコロジー(環境保全)運動を指導されています。「ハゼの実採り」や「水車見学会」などボランティアで実施されています。宮崎県下で最近はじまった「地元学運動」を、先生は10数年前から推進されているのです。先日、先生に「馬場水車場の存在意義は?」の質問状を発しました。丁重なご返事がありました。お手紙を要約して記述します。
(1)水車操業は無公害の動力源で、しかも産業廃棄物ゼロ産業の教科書的な見本です。私は「ノーベル平和賞」に値する存在と思っています。
(2)水車の存在を学ぶことで情緒性を自然に養うことが出来、かつ環境教育、技術史教育などはば広い教育力が秘められていることに気づきます。
(3)「環境博物館」的な存在で、伝統工芸産業などを含む「八女地域まるごと博物館」の運営回転役的な役目を果します。
(4)結論として、水車文化は八女地方の歴史、文化、風土が純粋に高められた姿を目に見える形で見せているのです。
追記「水車見学」は「午後のみOK」とのこと。

(日本民芸協団八女支部 顧問/松田久彦)

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