八女あれこれ24 「わが師、わが友」その七

「柿右衛門展」余話

市立横町町家交流館(以下「交流館」と略)はこの5月で開館12周年を迎えます。交流館の毎月かわる企画展は、八女地方とゆかりのある歴史的または文化的な作品などを展示し、精神的な豊かさを求める市内外の人々の交流の場となっています。私は開館時からずうっと展示品の「説明役」として月のうち数日間出勤しています。12年間を振り返ってみますと、私の存在は「説明役」どころか、出品者や見学者などから逆に教わることの方が多かったように思います。
有田焼の「酒井田柿右衛門展」はこの12年間で2回開催しました。酒井田家のご先祖が戦国時代末期、八女市酒井田地区の領主だったというご縁によるものです(参考書「酒井田柿右衛門物語」八女市教育委員会編、150円、交流館で販売中)。 さて、第一回目の開催は平成9年5月17日から20日間、開館記念行事として行いました。出品された作品は約300年前の窯の初期に作られたものから現在の窯主、十四代柿右衛門さん(以下、十四代さん)の作品まで27点を展示しました。会期中に八女地方の人々、福岡市や佐賀県の人など毎日平均250名の見学者がありました。会期中に私の失策がありました。
展示場中央に1690年ごろ(元禄期か?)の作とされる「色絵傘人物文大壺」(高さ54・6センチ、径34・5センチ)(写真)が展示されていました。ある朝のことです。この大壺の一点を、目を見張ってじっと見つめられている一人の紳士がありました。そして紳士は私に『この壺の身と蓋は作られた年代が違うようですね』と尋ねられました。私は『いや、同時代の焼きとみておりますが…』と応えましたが、念のためにその場で有田町の柿右衛門窯へ電話を入れました。電話に出られたのは旧友の真鍋孝禧さん(広報担当)でした。
真鍋さんは『紳士のご指摘のとおりです。大壺は江戸期に輸出されていたのを、戦後、欧州のある都市での競売会で日本人の方が落札され、それを我が社(柿右衛門窯)が買い戻したものです。そのとき蓋を破損しましたので蓋だけを新しく作りました』とのことでした。私の失策第一号でした。頂いた紳士のご名刺には「福岡工業大学教授 秋吉俊男」とありました。先生からはその後「釉薬」について学びました。

1個 1500万円

 有田焼は東洋陶磁の技法を基調とした伝統工芸の焼き物で、大別すると「柿右衛門様式」「伊万里焼」「色鍋島」の三流派に分けることができます。
柿右衛門様式の特徴は濁手=にごしは米の研ぎ汁のことで乳白色の温かみを感じさせる素地=という白い磁肌に色絵の文様を描き、白い磁肌の余白を生かした構図、とされています。交流館二階に酒井田家資料室があり、人間国宝でもある十四代さん(74歳)作の「濁手色絵」の花瓶、壺、蓋物など6点を常設展示しています。ご鑑賞ください。
2回目の柿右衛門展は「十四代襲名25周年」を記念して平成19年6月2日から1カ月間開催し、1回展をしのぐ来館者がありました。
十四代さんは八女市でのご講演のなかで『私は?先生?ではなく一介の職人です』を強調されていましたが、ご本人が数年前に上梓された「余白の美・酒井田柿右衛門」(集英社新書)のなかで?職人論?を次のように語られています。
『柿右衛門様式のすべてを伝承しつづけるということは一人の人間では余ることです。集団の仕事として?美?を追求するのが私達の仕事のやり方です。ロクロはロクロの第一級の腕をもった職人、絵は絵の第一級の職人、土も窯焚きも第一級の人が尽すというやり方が「作家」先生とは違うところです』
柿右衛門様式の作品は職人の分業の合作だとわかりました。

 見学者の声で多かったのは「十四代さんの作品は高価のようですね」でした。去る日、交流館で十四代さんに質問してみました。
―出品作の壺や花瓶は1点、7・800万円から1500万円とききましたが…
十四代 大皿や大壺などは登り窯の一袋(区劃)に二、30点を入れて焼きますが、完成品は一点ぐらいで残りはヒビ割れなどの不良品です。難しい仕事です。濁手様式の大型磁器の制作だけでは採算割れの状況です。私の工房(株式会社柿右衛門窯)が経営的に成り立っているのは「窯モノ」とよんでいる一般商品磁器の売れゆきに助けられているからです。ご理解ください。

(八女ふるさと塾塾長/松田久彦)

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