八女あれこれ18 「わが師、わが友」その一

「虎さんの和紙皿」

(写真)虎さん

民芸運動(手工芸品の宣伝活動ほか)の同志で酒友でもあった「虎さん」の回想記です。「虎さん」とは平成8年1月に71歳で亡くなった八女手すき和紙工房の経営者で匠だった山口虎雄さんのこと。彼と私は同年輩だったので彼を私は「虎さん」の愛称で呼んでいました。虎さんが亡くなる数年前に私に語った「母の思い出」は昭和初期の工房生活の一側面が語られています。(後段掲載)まず山口和紙工房を簡単に紹介します。

現在、八女市に残る7戸の手すき和紙工房は柳瀬と宮野両地区にあります。両地区とも町村合併(昭和26年)以前は「八女郡三河(さんごう)村」でした。「三河」の名は三河堰(南中学校の正門前)から採ったもので井堰は花宗川の水をせき止めて、引道(ひきみち)川、下今(しもいま)川、酒井田川の三つの川(三河)
を作っています。山口工房は引道川の流れを利用し宮野三叉路に面して建っています。創業は江戸末期で虎さんは5代目でした。(現在は6代目俊二さんが経営)

「虎さんとはどんな匠だったのか」—八女手漉き和紙組合長、松尾茂幸さんにききました。

『商品開発力の優れた先輩でした。そういう点で“八女の山口虎雄さん”の名は全国の和紙業界に響いていました。今のような変革の時代にこそ必要な先輩でした』

話は飛びます。いまの我が国はものがあり余るほどあります。物資的に豊かになった日本人は精神的に豊かな暮らしを求める時代になってきました。流行語を使えばモノからコトへの指向です。具体的な一例。市内の会社員A君は日常、家では地元の民芸品、久留米絣のカッターシャツを着用しています。A君はカッターシャツを単に体温を保つためのモノとしてのみで着用しているのではありません。絣がもつ天然藍の香りや小柄のデザインの趣を味わいながら心豊かな生活を送るというコトを大切にしているのです。

「モノからコトへ」は今や新時代の生活様式となってきましたが、3、40年前にこの時代相の到来を見抜いて商品作りをしていたのが虎さんでした。

30年近く前に彼が開発した「洗える和紙皿」は業界をあっと言わせました。紙といえば「水と熱に弱い」が常識ですが、虎さんは八代市の工人の協力で八女和紙に特殊加工をして防水性と耐熱性の強い食器(皿や湯呑み)を作り、市場で「虎さんの器」として評判になりました。虎さんは私に「この食器で食事をすれば話題が多くなって楽しかばい…」と語りました。虎さんにしてみると和紙皿はモノ作りではなく、コト作りだったのでした。このほか虎さんが開発した新製品の一つに珍しい天然染料があります。それまでの工人が手をつけなかった栗イガや桜の皮を煮詰めて作った染料です。これで染めた和紙は温かみのある黄褐色で、工作に使っていて心がほのぼのとなる色和紙でした。松尾組合長が言う「先の見える商品開発力」でした。

「虎さん」亡母を語る

昭和初期、私(虎さんのこと)が13歳の小学6年生のときの失敗談です。母はツネといい当時33歳でした。(昭和50年70歳で逝去)母は死ぬまで働きづくめの人生で私を総領に5人の子どもを育てました。母は毎朝、家人よりも2、3時間早く午前4時ごろ起き一人で工房で紙を漉き、しかもどん腹(妊娠中)で漉いていました。そして片方で赤ン坊だった妹にお乳をのませ、片手ではクドの火をみて朝飯を炊いていました。母は一人で仕事と家事と育児を同時に毎朝、毎晩、汗をふきふき続けていました。

ある冬の朝のことでした。いつものように午前4時ごろから紙を漉いていた母に代わって、私が「めしがわり」に交代して漉くことになりました。私は毎朝、登校前に一仕事して学校へ行くのが決まりでした。午前6時ごろです。外はまだ暗く、漉き場にはランプがぶらさげてありました。母はその時刻までに2時間ばかり一人で漉いていました。60枚ぐらい漉きあげていました。生紙床(なまじと)の厚さは3、4センチの高さになっていました。生紙床というのは漉きあげた直後の紙を重ねて積んだものです。しぼる前の紙の山です。(写真参照)だから豆腐のようにフワフワと柔らかいです。傷をつけないように紙床に触れるときは細心の用心をするのが漉く人の常識です。

さて、私が母と交代して最初の漉き方にかかろうと簀桁(すげた)を持ち上げた時です。どうしたはずみか、天井にさげていたランプを桁でハネとばしたんです。大きな音がしました。ランプと桁が油とガラスの粉をばらまきながら紙床の上に落下しました。母が漉き溜めていた60余枚の生紙床は豆腐よりももろくグチャグチャにびっしゃげました。(崩れました)私は母からおごられること(叱責)を覚悟しました。私は桁の端をつかんだまま体を小さくしました。その時、母はやさしい声で私に言いました。『よか、よか、また明日、漉けばよかたい…』母は労るような眼差しで私を見守っていました。ひと言も叱らなかった母の顔を思い出すと、還暦を過ぎた今でも涙がこみ上げてくるのです。母子のきずなの大切さをしみじみ感じました。

(八女民芸協団顧問/松田久彦)

(八女ふるさと塾塾長/松田久彦)

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