八女あれこれ15 「西南の役・余談」その三

田原坂の戦い

 明治10年(1877年)2月下旬に博多に上陸した官軍本隊の急勢は、既報のように熊本城で籠城中の鎮台兵と官吏達(県知事など)3,300余人を救出することでした。砲隊を含む官軍数万の大部隊が博多から熊本へ通行可能な往還は当時、久留米—玉名—田原坂(熊本県植木町)—熊本の経路のみでした。
薩軍は熊本城の北方約20キロメートルに在る丘陵、田原坂(標高60メートル)を要塞化して官軍本隊の南下を防ぎました。ために同年3月4日から両軍主力の攻防戦が同丘陵一帯で十数昼夜続きました。(後述)

数年ぶりに田原坂の古戦場を訪ねました。八女市から車で南下、約1時間の距離です。田原坂は稜線を縦にほぼ1・5キロメートル貫いていますが曲折の多いコースで、道の作り方にも手が込んでいました。道は稜線の地べたをえぐって造られ、えぐった土を道の両側に積み上げています。だから凹字形の塹壕道となって続いており今日でも往時の姿をよく残していました。凹字形道は加藤清正が熊本城の築城に着手した慶長6年(1601年)に清正の指揮で造られた戦略上の道で、熊本城を守る第一線陣地が田原坂だった、と伝えられています。

官軍が薩軍に優る武力は砲兵力でした。薩軍はその砲弾を避けるために凹字道の両側の土手に無数の横穴陣地を掘っていました。また丘陵全体に数百の堡塁を築き6,500の精兵で死守しました。これに対し官軍鎮台兵1万2,000人は3月4日から17日間にわたり田原坂本道と南方の峠の2方面から攻撃を繰り返しました。
官軍は物量にモノをいわせて1日に小銃弾約30万発、大砲12門で1日千余発を射ちつづけました。(熊本女子大教授、圭室諦成(たまむろたいじょう)著「西南戦争」)一方、薩軍は弾丸が欠乏がちでしたので、得意の斬り込み戦法で官軍の散兵線を襲い白刃で鎮台兵を草のように薙ぎ倒しました。

八女市北馬場、酒井広実(80)の曽祖父、菊次は130年前に鎮台兵として参戦し生き残った方ですが、生前『薩兵の斬り込みが一番えすかった(こわかった)。彼らの絶叫が一生、耳から離れんばい』とお孫さん達に語られていたといいます。薩兵の斬り込みは示現流という剣法で、地を這い、草むらに隠れて官軍陣地に近づき、突如、剣先を天に突き上げて構え、走りながら猿が叫ぶような声を発して躍り掛かるものです。この奇声をきいただけで鎮台兵は逃げ出しました。薩軍の斬り込み戦法に痛手を受け続けていた官軍は、田原坂戦の中期から旧会津藩士を主体とした警官の抜刀隊を編成し、斬り込みには斬り込みの戦法で戦い血路を開いたのでした。とにかく、17日間の田原坂戦では毎日のように丘陵の各所で、白刃と白刃或は白刃と銃剣の白兵戦が繰り広げられました。司馬遼太郎は史伝「翔ぶが如く」の中で「田原戦は同時代の世界戦史のなかで激戦という点では類を見ない戦いだった」と記述しています。8ヶ月間の戦役全体の両軍戦死者は1万3,000余人ですが、その4割がこの田原坂戦での犠牲者でした。

(写真)田原坂

薩軍の剣客達は毎日数百名が死傷しましたがその補充は殆ど出来ず、これに対し官軍の物的人的な補強は毎日続きました。遂に力尽きた薩軍は3月20日朝、田原坂要塞を捨てて退却したのでした。
なお、熊本城には八代から逆上陸した官軍背面軍が4月14日に入城し籠城は終わりました。

戦禍の証言.

戦争は何時の時代も弱い庶民を犠牲にしました。民衆の証言を綴ります。資料は八女市土橋、今里秀子(63)=40余年前に田原坂の近くから嫁入りされた方=と熊本県玉東町役場および植木町郷土史家勇(いさみ)知之から提供を受けました。(以下の年齢は30年前のお年)

玉東町原倉 中山昭正(64)
玉東町原倉 菅本茂雄(64)

私達の集落は戦後当時40数戸ありましたが、薩兵の隠れ家になるとの理由で官軍により殆ど焼かれました。(田原坂周辺の民家の多くは官、薩軍が焼いた)住民は住む家がないので山中に壕を掘って暮らしたが雨の日が多く寒く苦しかったと母から聞きました。当時「西の畑」という集落の源太さんは夜道で薩軍に捕らえられ、木に縛られて殺されました。密偵に間違えられたとのことでした。

玉東町稲佐 井上タキ(91)

私の集落は夜中に官軍に放火されました。女は腰巻一つで逃げた人もあり、20日間ばかり入浴も出来ないので壕で毎日、シラミ取りをしていました。

植木町住民某の話

野添さんという農民が仲間と2人、町はずれの道で薩兵に『何しとるのか』と詰問されました。つい軽く『戦争見物に来ました』と答えたところ薩兵は『ならば本物の戦争を見せてくれよう』と絹を引き裂くような掛声と共に一刀を横に払いました。その途端、野添さんの首が落ちました。仲間は逃げました。(勇知之編著「日録田原坂戦記」)(文中敬称略)

(八女ふるさと塾塾長/松田久彦)

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