八女あれこれ16 「西南の役・余談」その四

南洲遺訓集

 西郷隆盛(号、南洲)の語録をまとめた「西郷南洲遺訓集」は(以下「遺訓集」)は明治期から今日まで多くの人に読みつづけられています。(岩波文庫だけで昭和14年の初版から今日まで54版)しかし、「遺訓集」は西郷の著作ではありません。(西郷には著書はありません)
明治3年(1870年)旧庄内藩(山形県北西部)の前藩主、酒井忠(ただ)篤(ずみ)と藩幹部数名が鹿児島の西郷隆盛を訪ね、寝食を共にして政事や人事などについて教えを乞いました。その時の西郷の言行をまとめた著作が「遺訓集」です。しかし活字となって旧庄内藩から大々的に出版されたのは、西郷の「賊名」が除かれた明治22年の翌年でした。

それにしても不可解です。庄内藩といえば幕末から戊辰(ぼしん)戦争(明治元年、戊辰の年に行われた官軍と旧幕府軍との戦いの総称)にかけて官軍の中核、薩摩軍と真向から戦った旧幕府軍の中核でした。幕末の慶応3年(1867年)12月25日未明には江戸芝三田の薩摩藩邸の焼き打ちまで決行しているのです。薩摩藩に対して敵対意識が強かった旧庄内藩から、どうして西郷の言動を讃える「遺訓集」が出版されたのでしょうか。

話は戊辰戦争時の明治元年9月27日に遡(さかのぼ)ります。官軍の最高指揮官だった西郷隆盛は薩摩隊を指揮して幕府軍の牙城だった庄内鶴岡城(山形県鶴岡市)を落城させました。藩主酒井忠(ただ)篤(ずみ)(当時十六歳)はじめ家老たちは薩摩隊の報復的な厳罰を覚悟しました。ところがどうでしょう。西郷がとった降伏の条件は、藩主、家老たちすべてを罰せず、ただ「当分の間、謹慎のみ…」という寛大なものでした。西郷は「降参した将軍に対しては更に恥をかかすべきではない」の武士道の精神を重んじたのでした。庄内藩内には西郷への尊敬と信頼感がたかまりました。明治3年11月には旧庄内藩では選抜隊70余名を鹿児島へ派遣し3ヵ月間留学させたほどでした。
「遺訓集」は人事、政事など41条にわたっています。西郷の言葉として有名な一つの項目をあげますが、原文は文語文ですので意訳して書きます。

遺訓三〇条

「命もいらぬ、名声もいらぬ、官位も金もいらぬという人は仕末に困る人である。(仕末に困る、はあつかいにくいの意)しかし、仕末に困るほどの人でなければ艱難困苦を共にして、国家の大業は成し得られぬものだ(略)=筆者注「仕末に困らない大臣」は不要です。

「鹿児島」再訪

(写真)洞窟

城山の薩軍本陣(洞窟)跡(高さ
約150センチメートル)

明治10年2月15日に鹿児島を出陣した薩摩軍(最大時兵力3万一千余人)は田原坂など各地で連戦連敗し、9月1日やっと故里へ舞い戻り、城山(しろやま)(標高一〇七米)に籠りました。敗残の兵力は僅か350人でした。そして9月24日、官軍6万人と最後の決戦を行い西郷隆盛以下幹部が討死し西南の役は終結しました。西郷49歳。
城山を再訪しました。山は岩山で亜熱帯性の照葉樹が覆っています。決戦の朝、西郷ら薩軍将士40数人は城山中腹の本陣(薩軍最後の本陣は幾つかの洞窟の中にあった。
現在は「西郷洞窟」と称ぶ史蹟)から麓の岩崎谷の防塁まで約七百米を緩い駆足で下り途中で全員玉砕したのでした。私は西郷が下った道を歩いてみました。現在は道幅が広くなり、アスファルト舗装と白いガードレールが往時の緊迫感をやや壊していましたが、道筋の激しい屈折は昔とあまり変わっていません。時おり右手の断崖から左手の尾根へ吹きあげる烈風が意外と冷たく、私は鬼気の気配さえ感じたのでした。岩崎谷の一隅には「西郷隆盛終焉(しゅうえん)の地」の石碑があり、お参りする人は今日も絶えません。
城山からその足で鹿児島市上竜(かみたつ)尾(お)町の南洲墓地に参詣しました。西郷隆盛の大きな墓を中心に2,023柱の将士の墓標が林立し自(おのず)から身のひきしまる空気が辺りを包んでいました。墓のなかには庄内出身の2人の青年の墓碑もありました。墓所の説明板によると
「庄内藩士、伴兼之、明治10年3月20日、肥後植木で戦死、20歳。榊原政治、肥後御船で負傷、延岡病院で戦死、18歳」

この二人は旧庄内藩から選抜されて西郷が設立した「私学校」で学んでいました。が西南の役が起こったので西郷ら学校幹部が頻(しき)りに帰国をすすめました。しかし2人は断固として承知せず各地に転戦し戦死したのでした。(佐高信著「西郷隆盛伝説」)
そのほか墓のなかには14歳で戦死した少年兵2人や児玉実直兄弟5人が戦死した墓などお詣りしていて胸が痛みました。

京セラ株式会社名誉会長稲盛和夫の近著「人生の王道・西郷南洲の教えに学ぶ」は「遺訓集」を企業経営に活かされた体験記です。
(文中敬称略)

(八女ふるさと塾塾長/松田久彦)

この記事に関するお問い合わせ先

企画政策課 広報広聴係
〒834-8585 福岡県八女市本町647番地
電話番号:0943-23-1110
ファックス:0943-24-8083

お問い合わせはこちら