八女あれこれ3 小島直記先生素描・下

元気を与える文学

(写真)小島直記先生ご夫妻

数年前のこと。私は福岡県が招待した関西記者クラブの記者8氏を横町町家交流館に案内しました。同館の「ふるさと文庫」には作家、小島直記先生など八女市にゆかりのある文学者4名前の先生の資料(著書、履歴、生原稿など)のコーナーがあります。1行のうち数氏が『小島先生の作品は全国のサラリーマンに元気を与えています。資料コーナーをもう少し拡充してください』と私に注文されました。
  先生は今日86歳。これまで難病の癌を2回も克服され、ご闘病のなかから長編の名著を次々と発表されていますが、私はかつて、先生の短編随筆集から勉強をはじめました。

以下、短編集からの抄出。
  終戦直後ごろの話、京大総長や文部大臣のイスを謝絶し、第二の人生の過ごし方を老父の世話と畑作りに・・・とされた学者、小島祐馬先生の物語。(「一燈を提げた男たち」所収)
  荒畑寒村先生(昭和56年、94歳で没)は戦前からの社会主義者。その妻、玉さんは東京下町の遊女出身で夫より11歳も年上でした。しかし、玉さんは夫の信念を信じて、主人のたびたびの入獄や極貧の生活に耐え、グチひとつこぼさず主義者寒村のために一生を捧げました。自分を捨てて人につくす行動を「思想」というのでしょうか。 玉さんは昭和12年、赤貧の中に没しました。65歳(寒村先生は戦後、日本労働運動界の理論的指導者となりました)。(「志・かつて日本にあったもの」所収)
  石橋湛山先生(昭和 47年、90歳で没)はジャーナリストでのち首相。
  戦前から日本外交の侵略主義に警鐘を鳴らす論文を軍部の圧力に屈せず次々と発表されました。我が国の外交の根本は「日中親善あるのみ」を一生、主張しつづけられました。(「出世を急がぬ男たち」所収)

逆境をバネに

先生の作品の主人公はその思想や主義が右か左かは問題ではありません。ただその人が自分の志を貫くために、権力や金力の無謀な力にどう対処したかの一点だけが問われているのです。
  先生の作品はすべて先生の反骨精神から生まれています。この精神は少年期の逆境が養分となりました。大正13年お父さんは46歳で、当時35歳の妻、葉末さんと6歳の直記少年を残して病死。残された母子はこの時から苦難の時代となりました。叔父は何かにつけて母子に暴力を振るうようになりました。母子は叔父の仕業で先祖代々の家から追い出され、また紙問屋の家業と父が残した山、田畑も叔父に奪われました。先生は長編「遠い母」でこう述懐されています。
  「私は中学一年生のとき、母を殴る叔父と一騎打ちの乱闘をした。だがこれが養分となった。基本的な一生の姿勢ができた。弱いものをいじめる奴は絶対に許せぬ、という気持ちが今までつづいているのも、そこに仁王立ちの叔父と、殴り倒された母を見るからである」

お手本は直記先生

  「小島直記文学碑」は八女公園に晩秋、建立されます。先生ご揮毫の碑文は「志」と「血気には老少有りて、志気には老少無し」です。
  「志」は士の心と書きます。「人生の思想的主題」のことです。前記のお玉さんなど3氏はすべて名誉、地位、金銭などの諸欲には一さい見向きをせず、さも士のように自分の志を貫いた人たちでした。「血気には云々」は先生の愛読書「言志四録の後録」(江戸後期の儒者、佐藤一斉先生の代表作)からお採りになったものです。「人間の体力から発する血気(元気)は青年と老年とは大きな違いがある。しかし志気(物事をなそうとする意気)は精神からほとばしるものだから青年と老年の違いはない。勉学は生涯つづく」の意です。
  86歳の小島直記先生は「志気」の実際を、身をもって私たちに示されているのです。

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