八女あれこれ2 小島直記先生素描・上

優しい「硬派」

(写真)小島直記先生

小島直記先生(86歳)の文学碑を建立しようという運動が八女市民の間で高まっています(私も参加しています)。先生は小説家で、かつ学者です。

私が先生に初めてお会いしたのは平成九年秋、横町町家交流館でした(私は当番で出勤日)。野田市長、小川助役に市吏員3、4名と一緒でした。私は先生を誤解していました。お会いする前に先生の略歴(後述)と先生を紹介した本の記事「小島先生は明治以来の正統的な硬派の文士である云々」を読んでいましたので、先生を羽織袴のジュウタンガン(がんこな人)を予想していました。私はおそるおそる名刺を出しました。先生は黒地の背広姿で、びん鬢に白髪が一束あり牧師さんのような温顔で『有難うございます』と優しく答礼されました。私はほッとしました。その後先生を知るうちに情深い方だと判りましたが、ただ権力あるいは金力を笠に着て威張る人たちは別です。ペンで一刀両断に斬られます。

 住所は神奈川県逗子市ですが八女市のご出身。大正8年(1919年)紺屋町で紙問屋を営まれていた直吉さん、葉末さんの長男として出生、福島尋常高等小学校(現、福島小学校)八女中学(現、八女高校)東京帝国大学経済学部を卒業、海軍に入り終戦時は海軍主計大尉、戦後、計理士開業、のち八女津実習女学校(現、八女学院)と八女高校で教壇に・・・。昭和23年経済調査官、翌年、大蔵事務官で東京国税局勤めのため上京、1年後にブリヂストンタイヤ入社、社員時代の昭和29年に書かれた小説「人間勘定」翌年「人間の椅子」が続けて芥川賞候補となりました。昭和40年46歳から筆一本で独立。この頃から日本近代化の根幹を担った政、財、言論界の人物を描かれ「哲学的な伝記文学を創造した作家」として文壇で高く評価されています。

作品は多数あります。「福沢山脈」(西日本新聞連載)をはじめ小説「三井物産」「異端の言説、石橋湛山」「小島直記文学全集(全15巻)」などなどです。

生命より大事なもの

先生の作品で八女市民の愛読書は「坂本繁二郎伝」(平成3年10月出版)です。出版秘話があります。
  平成2年八女市では坂本繁二郎画伯(昭和44年、87歳でご逝去)の伝記を出版し翌年、市民代表に配布する計画を立てました。執筆者は小島直記先生(市側担当者は市議牛島隆三郎、助役松崎友衛、教育長坂田不二夫の諸氏)。
  小島先生は『郷里のためお役に立ちたい。ただし原稿料タダという条件なら書かせてください』と引受けられました。ところが問題が起こりました。

  先生に2回目の癌(悪性耳下腺腫瘍)が発見され「一刻も早く手術を・・・」と宣告されたのです。手術となれば退院までは数か月かかり「坂本伝」の出版期限は切れ、八女市の事業計画は泡と消えます。
  この頃、先生の知人が忠告しました。『タダの原稿で生命を捨てるのは損ではないか』と。そこで先生は『冗談じゃない。タダだから死んでも原稿を完成するのだ』と答えられたそうです。数年後にこの時の心境を先生は『損得を第一番に置く生き方が大事ならば、私は作家にはならず実業界での出世を考えたでしょう』 と語られました。
  原稿完成ののち入院。ところが数か月のうちに病状が悪化し患部が頸動脈とくっつき手術ができなくなっていました。やむなく手術の代わりに薬物療法に。ところがこの薬物が奇跡的に効き退院されてから今日まで13年間執筆と講演活動を続けられています。「生命」よりも「約束」の道 を選ばれたことで、結果的に延命策となりました。これは天の神様が先生に寿命を追加されたのだと私は解しています。

  先生は洪鐘のような存在です。撞木役の私が甚だ散文的な性格だから、巨きなつり鐘を鳴らす力が足りません。しかし、先生は9月に帰省され講演予定です。けい咳に接して先生の蘊蓄と人間学を学んでください。

(八女ふるさと塾塾長/松田久彦)

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