矢部ある記(3)矢部民謡の父 栗原晨護

(写真)自宅前に立っている「領民之碑」

ハア ヤーレー
矢部がよいかよ 大渕がよいか
矢部で様持ちゃ 矢部がよい

栗原晨護氏は、村役場の書記だった昭和29年(1954)11月14日、東京日比谷公会堂で行われた「第5回日本民謡協会年次大会」に福岡県代表として出場し茶山唄を歌いました。伴奏は当時県の第一人者福岡市の三宅翆風氏で、尺八と唄が一体となり大きな感動を与えたそうです。

結果、全国第2位の入賞でした。「ジュンユウショウス」と、喜びを第一番に妻ツネヨさんに知らせた貴重な電報や実物トロフィーが残っています。優勝は新相馬節の三橋美智也氏。翌年、おんな船頭唄で演歌デビューします。美智也氏24歳・晨護氏48歳は運命ながら、すでに民謡歌手であった大御所と互角の唄くらべは、今なお郷土の誇りです。

快挙のお祝いに、吉田茂内閣の副総理であった緒方竹虎氏が直筆の色紙「郷土愛 祖国愛」を贈りました。緒方氏は久留米出身で、郷里筑後からの準優勝をことのほか喜ばれたようです。

茶山唄で全国大会準優勝

ハア ヤーレー
矢部がよいかよ 大渕がよいか 自宅前に立っている「領民之碑」
矢部で様持ちゃ 矢部がよい

栗原晨護氏は、村役場の書記だった昭和29年(1954)11月14日、東京日比谷公会堂で行われた「第5回日本民謡協会年次大会」に福岡県代表として出場し茶山唄を歌いました。伴奏は当時県の第一人者福岡市の三宅翆風氏で、尺八と唄が一体となり大きな感動を与えたそうです。

結果、全国第2位の入賞でした。「ジュンユウショウス」と、喜びを第一番に妻ツネヨさんに知らせた貴重な電報や実物トロフィーが残っています。優勝は新相馬節の三橋美智也氏。翌年、おんな船頭唄で演歌デビューします。美智也氏24歳・晨護氏48歳は運命ながら、すでに民謡歌手であった大御所と互角の唄くらべは、今なお郷土の誇りです。

快挙のお祝いに、吉田茂内閣の副総理であった緒方竹虎氏が直筆の色紙「郷土愛 祖国愛」を贈りました。緒方氏は久留米出身で、郷里筑後からの準優勝をことのほか喜ばれたようです。

民謡の発展・継承に努力

晨護は本名信吾を改字したものです。晨は奮い立つ生気に満ちた朝を、護はまもる・あるいはその役目を表します。この名で全国大会に準優勝。民謡への思いはいっそう強くなり、各種大会の審査員・ゲスト出場・ラジオ出演を経て、昭和36年には当時珍しかった矢部中学校の鼓笛隊の激励を受け全国大会に再出場します。この出場は3年後キング社でのレコード化につながりました。昭和41年には文部省監修の小学校音楽教材5年鑑賞曲に晨護氏の「茶山唄」が収録されています。

氏は、民謡の発展・継承のため、八女・久留米・福岡市で民謡教室を開くと共に、各地の民謡会設立や指導に努めました。福岡では弟の病院の事務長として10年間過ごし、石村萬盛堂前社長で民謡家の善右氏ほか、多くの出会いがありました。福岡教室の一行は、晨護氏没後も4〜5年間バスを貸し切り三味線・民謡・踊りを矢部村自宅の仏前に奉納したそうです。

久留米では教育者の友野晃一郎氏が晨護氏から民謡研究の激励を受け、晨護氏や県内民謡の採譜・録音に大きな成果をあげています。

八女においては、立花町の中村和子氏が持ち唄一曲の時代に晨護氏と出会い「これからは楽器も必要」と説かれて三味線を手にし、今や筑後地区の重鎮。小学生の頃、度々母に随行していた長男は尺八・笛の名手米谷和修となって、のど自慢や民謡番組の伴奏に大活躍しています。

平成6年NHK編復刻版「日本民謡大観」には、公卿唄・茶作唄・嫁入唄・子守唄・田植唄・米搗唄・木挽唄・鉱山唄・エンヤラヤ・石搗音頭が矢部村民謡として掲載、晨護氏の歌声CDもあります。 

民謡の碑を建てる

晨護氏は明治36年(1903)久登・ワリの長男として誕生。助役まで務めた父は、秋祭り芝居の帰り覚えた唄を口ずさむ名人で、浄瑠璃久たんの異名を取りました。酒席・農事の合間・風呂と、始終歌う父のそばでDNAは開花したのです。28歳の昭和5年には、秩父宮雍仁親王ご夫妻が日向神を探勝された折、父久登氏と共に久留米の宿舎に招かれ「公卿唄・茶山唄」披露の栄誉を得ています。昭和30年、村の公民館連合会より民謡の保存並びに発展・NHK放送や海外への紹介など、数々の業績を表彰されています。
昭和50年(1975)矢部村飛の自宅庭に、念願だった民謡の道しるべ「領民謡之碑」(民謡を極め後世に残すの意)を建立すると、安堵したように翌年喜寿77歳の生涯を閉じました。

毎年11月第2土・日曜日、「八女の名起こり」と日本書紀にある八女津媛神社境内では、地元実行委員会によるもみじ祭が開かれています。その日曜日、郷土民謡家の業績を讃え「栗原晨護民謡祭」を実施しています。氏の唄声が神窟に響くと、八女原点の大きなパワーで包み込まれます。

「自分に民謡の城を築け そしてそれを護り固めよ」

晨護氏の言葉は、そのまま生涯を物語っています。茶山唄を掘り起こし、骨子となる歌詞を作ったのも栗原晨護氏です。杣のふるさと文化館には、直筆・愛蔵品外ゆかりの品を展示し唄声も聞けます。国士舘大柴田徳次郎総長・田崎広助画伯・宮田輝アナ・歌手赤坂小梅氏等との交誼も分かります。ぜひご来館ください。

矢部村 山口久幸

【参考】杣のふるさと文化館蔵資料・家族への取材(北矢部飛・当主健志郎)

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