八女あれこれ/番外編(3)

星野村再訪

宝の生命は耳にあり

手工芸品などを見学するとき、私は93歳の老骨だから自分なりの″決め手”を持って見ることが多いです。久しぶりに星野村の「古陶星野焼展示館」を訪ねました。回廊式展示場に、江戸時代中期以降に焼かれた大型茶壺や湯飲み茶碗など逸品65点が陳列され、館員・高木ミヤ氏(高の字ははしごだか)のていねいな説明があります。「星野」の地名は地名辞典によると「その昔、星が降るように見える野」ということでついたとのこと。心が温まる地名ですが、展示品の焼物群も地名に負けない絶品揃いです。

さて、前出の”決め手”のこと。広辞苑によると決め手とは「物事の真偽、決着を最終的に決定すべき手段・方法」となっています。自分なりの決め手を持っていると見学の楽しさが増します。茶壺の場合、私の決め手は「耳のつけ方」です。同村は昔から「星野茶」の産地でした。茶葉の保存容器として茶壺が作られていました。「耳」とは壺に木蓋をして油紙を覆い、それを締めるときにヒモをかける部分が「耳」です。「耳」は茶壺の生命です。「耳」が欠落すれば茶葉の乾燥を保つことはできません。食品を保存する技術が未発達であった江戸時代にあっては茶壺こそが生産農家の宝であり、宝の生命は「耳」にありました。故に耳作りこそが陶工の命でした。数百年前の陶工の指紋がくっきりと耳のおさえに残っている事実を見ると、私は涙します。

星野焼展示館

古陶星野焼展示館

再興・星野焼

現在の窯元は源太窯、十篭窯、錠光窯の3軒でよく訪ねます。

源太窯の山本源太さんは鳥取県の出身。青年期に大阪市の会館で古陶星野焼の大茶壺を見て感動。昭和43年に入村して窯を開き、当時休止状態だった星野焼を再興されました。近く半世紀となります。古陶星野焼の名品とされる夕日焼(夕陽のような輝きのうわぐすり)を復活され、展示室には数百点の茶器が展示されています。源太さんの話によると、健康食品としての八女茶に魅了された外国の方々の来訪が最近多くなっているとのことです。

十篭窯の丸田修一さんは佐賀県出身。丸田さんも源太さんと同じく古陶星野焼の作品に魅せられて昭和50年に入村し、開窯されました。特技のデザインは象がん技術。象がんとは陶器に模様をきざみ、そこへ金・銀などの材料をはめ込む技術で高度の技術力が必要です。丸田さんも急須などの茶器作りに重点をおかれています。錠光窯の山本拓道さんは星野村出身。前出の山本源太さんに師事して腕をみがかれ同村で燃え続ける「平和の火」を窯の火種にして平成元年に開窯。近くの高原の松・茶・栗・銀杏などの灰をうわぐすりにした焼物づくりに力を入れられています。三窯元とも見学は自由です。

山本源太さんの工房を訪ねて

山本源太さんの工房を訪ねて

温かい村民に支えられて

数年前に十篭窯・丸田修一さんの活躍ぶりを祝う会が同村主催で近くの福祉センターで開かれ、私は招待されました。私は指名されて私見を述べましたが、私見の力点は星野村民3,700人の方々が「よそものを育てられる温かい姿勢の素晴らしさ」でした。

前述のように山本源太さん、丸田修一さん。それに斬新な木工デザインで使う人に夢を与えている「星野民藝」の竹内主直さんは人吉市のご出身。すでに40年営業されています。以上の人たちは青年期に入村して創業した人たちで、村民がサポーターとなって育て大成されました。

次は転勤がある女性教師の話。この女性は現在筑後市在住で60歳。25歳のころ同村の仁田原小学校(平成19年3月閉校)で4年間勤め他村の学校へ転勤が決まった時、学童の父や母親たちが自作の食べ物を持って集まり、当直室で心のこもった送別会が開かれました。続いて桜の苗木の植樹会が校庭で催されました。この女性は感涙して思い出を語りました。

前述の陶工、木工技術者、それに教師の各氏は、自分たちを支えてくれた無名の村民の方々に今でも強く感謝しています。人生で感謝の心が続くことは最大の幸福です。

星野村は全村が山。車中から複数の棚田を望見。棚田とは数百年前から代々の農民衆が「一粒の米でも…」と長い時間をかけて石垣を積み上げて作った階段状の農地のこと。棚田を見学すると、村民たちの数百年の頑張りに頭が下がります。長い村の歩みで村民衆は人生の苦労を知っています。だからよそもの青年の努力に力を添えてあげるのでしょう。

 

(八女ふるさと塾名誉塾長/松田久彦)

このページに関する
お問い合わせ
企画政策課 秘書広報係(広報担当)
〒834-8585 福岡県八女市本町647番地
電話番号:0943-23-1110
ファックス:0943-24-8083

お問い合わせはこちら